似て非なるものの感覚。

 少し前の話になりますが。

 米アカデミー賞の授賞式で、ウィル・スミスが司会者を平手打ちしたという一件がありました。

 もちろんその行為に至る理由がきちんと存在していて(同伴していた妻への差別的発言)、それによって、社会的な論調が二分しました。

 日本人の多くは、「ウィル・スミスは妻を守った。原因は司会者側にあるのだから、ウィル・スミスのとった行動は理解できる」という意見だったようです。

 

 私はその論調がどうもスッキリしなくて……。

 

 もちろん、伴侶を守るということに関しては、おおむね理解できます。

 司会者が公の場で軽率な発言をしたことは、決して許されることではない。これも分かります。

 

 結果的に、アメリカではウィル・スミス側に、より重い処分を科したわけですが。

 どちらかというと、私はこっち寄りの考えです。

 そりゃ、そうなるよね、と。

 

 

 この一連の騒動を見ていて、私はある既視感を覚えました。

 若い世代の方は分からないかもしれませんが、これ、完全に「忠臣蔵」と同じ構図じゃね?? と。

 

 江戸城の「松の廊下」で、浅野内匠頭が吉良上野介に対して刃傷沙汰を起こした、という忠臣蔵のキモとなるエピソードです。

 浅野内匠頭には吉良上野介を切りつける理由があって(ドラマなんかではいろいろと嫌がらせをしている)、どちらかというと、吉良上野介が悪いような描かれ方をしています。

 しかしそのあと、浅野内匠頭は即日切腹を命じられ、その無念がのちに仇討の討ち入りに繋がっていくわけですが。

 

 この浅野内匠頭が、今回のウィル・スミスにダブってしまうんですよね。

 そう。色々な理由はある。

 我慢できないほどの遺恨が存在する。

 

 でもね。

 江戸城「松の廊下」=アカデミー賞授賞式会場 なんだと思うんです。

 ある種の、権威の象徴のような場所です。

 そして、その場所に決して無関係ではない、それなりの立場のある人間です。

 

 「妻を守って、男らしい――」それが最初に来るのはなんか違うなって。私はそう思います。

 いや、分かるよ。↑ ↑ この気持ちだって。でも一番最初に来るものではない。

 

 ウィル・スミスが悪い or 司会者が悪い という考え方だとそりゃ論調は割れますよね。

 ぶっちゃけ、それはもう、その二人(+妻)の問題なので、その中で解決すればいい話です。

 

 今回の問題点には、そこを絡めるべきではないのでは。

 忠臣蔵のドラマでいうなら、『殿中でござる! 殿中でござる~~~ッッ!!』ってことかと。

 

 

 ……なんて、時代劇フリークの私が、何となくそう思った――――というお話でした。