映画

姪っ子甥っ子と行く、毎度おなじみ映画接待ツアーです。
CMもたくさん流れてるし、新海誠監督作品だから話題性もクオリティもお墨付きだろうし……ってなわけで、あらすじも全くチェックせずに鑑賞に挑んでしまいました。

エンドロールを待って、劇場内の明かりが灯って思わず口をついて出た言葉がこれ。
「お……重い……」

感動とはまた別の感覚。
かといって、凄惨な戦争映画を観たあとの感覚ともちょっと違う。

なんというか……『表現の自由』ということを、深く考えさせられてしまいました。

一緒に観ていた小学5年生の甥っ子が、上映後に「あれって、もしかして東日本大震災のこと?」と私に訊いてきました。

甥っ子は震災後に生まれているので、彼にとっては生まれる前の歴史的事柄でしかありません。それでも、東日本大震災というワードを口にしていたので、学校できちんと学んでいるのだと思います。

しかし。
国民のほとんどの人間にしてみれば、いまだ記憶に新しい出来事です。
それを決してタブーとして扱わず、作品として表現をした。

私には、とうてい真似できない――率直に思いました。批判的意味ではなく。

創作である以上、必ずしも実体験をもとに描かれる必要はないと思います。
ただ、実在の土地が舞台だったり、実際起こった事件・事故・事象を取り扱うには、それ相応のリアリティが求められます。

そのリアリティを表現するには、10年余りの時間は果たして長いのか短いのか……記憶に新しいからこそ胸に突き刺さるものがあるのだろうし、しかし逆に、記憶を蒸し返して多くの人を苦しめる表現となってしまうことも、大いに考えられます。

これが、東日本大震災ではなく関東大震災だったら――実際、関東大震災に関するエピソードも一部盛り込まれていましたが――要石の話も、ファンタジーとしてとらえることができます。実際に経験されている方は100歳を超えていますし、その世代の方々は作品を見ることはないでしょうから。

扉、閉じ師、要石、地震を引き起こすミミズ……災害のメカニズムをファンタジックに表現してしまうと、じゃああの災害は閉じ師がいたら起こらなかったわけ?? 扉が開いちゃった? 間に合わなかった??
現実に家族を失くし、癒えることのない傷に苦しんでる人たちがたくさんたくさんいて、この表現の仕方はなかなか受け入れられないのでは……そう感じました。

まあでも、すずめが出会う人々はみな人情味あふれたいい人たちばかりで、その点は救いでした。
サブキャラながら、芹沢くん(男主人公・草太の親友)は、いいスパイスになっていた気がします。
彼は今作の、私のイチオシです。

しかしまあ……すずめが草太を好きになるくだりが、私にはよう分からんかったな~。
私が年を取ったせいか。そうか。きっとそうだな。